「宮中と地方神社での新嘗祭の違い」
宮中における新嘗祭は、特定の施設である神嘉殿で行われ、ここに神座と御座が設置されます。日の入りと日の出の時間に、天皇は神々に食事を供える儀式を二度行います。また、天皇自身も新穀を使った食事を取り、朝には改めて衣を着替えて供え物を捧げます。
一方、全国の神社で行われる新嘗祭は地域によって様々な特色があります。どの神社も新穀を神々に捧げる点は共通していますが、地元の特産品市、神輿行列、舞踊など異なる祭りの要素が加わることが多く、露店やイベントも頻繁に開催されます。
「新嘗祭の起源」
新嘗祭の起源は、「古事記」に記された天照大神が豊穣を祈って新嘗祭を実施したという話にまで遡ります。これは日本の古典にも類似する記述が見られ、特に「日本書紀」にはその兆候が示されているとされます。
「新」という字は新穀を、「嘗」という字は食事を意味し、その解釈には様々な説があります。最初に新嘗祭を行ったとされるのは飛鳥時代の皇極天皇であり、元禄時代には東山天皇によって毎年行われるようになりました。そして、明治時代以降、新嘗祭は日本の重要な祭事として位置づけられ、現代に至るまで継続されています。
新嘗祭の開催日と2024年の予定
新嘗祭は、毎年11月23日に行われるのが通例です。
したがって、2024年の新嘗祭も同じ日に予定されています。
ただし、歴史を振り返ると、新嘗祭はもともと旧暦の11月の第二卯日に実施されていたことがあります。この日を「中卯」と呼んでいました。
旧暦を今の新暦に換算すると、大体12月初旬から1月初旬の間にあたります。
古代では、日付に干支を配して吉凶を判断したり、その日の行動を決めるのに使っていました。
「卯」の日は繁栄を象徴するとされ、新嘗祭には特に吉日とされていたのです。
新嘗祭と勤労感謝の日の関連性
新嘗祭が行われる11月23日は、日本では「勤労感謝の日」として祝日に定められています。この日は、労働を尊重し、生産を称え、国民がお互いに感謝する日と位置づけられています。
勤労感謝の日の制定は戦後のことで、日本国憲法の施行とともに新たな祝祭日の必要性が高まった時期です。それ以前の明治時代には、国家神道が国の宗教的な枠組みとして天皇と神々を結びつける形で推進されていました。
しかし、戦後の日本
神嘗祭と新嘗祭の主な違い
「神嘗祭(かんなめさい、またはかんにえのまつり)」は、毎年10月15日から17日にかけて伊勢神宮および宮中で行われる重要な宮中祭祀です。
この祭祀では、その年に収穫された新穀を天照大神に捧げ、感謝の意を表します。
新嘗祭との違いについては、新嘗祭が「すべての神々」を対象にし、「宮中および全国の神社」で行われるのに対して、神嘗祭は「天照大神」のみを対象にし、「宮中と伊勢神宮」で執り行われる点が挙げられます。
特に伊勢神宮では、神嘗祭は最も重要な祭事の一つとされ、神宮の正月に相当するとも言われています。この期間中は、神宮の装束や祭器具が新しいものに更新されます。
地元伊勢ではこの祭りを「大祭」と呼び、特別な意味を持つとされています。
は、国家神道の概念から離れ、新穀だけでなく、あらゆる労働に対する感謝の気持ちを広く包括する方向へと移行しました。この変化により、新嘗祭の日が勤労感謝の日として新たな意味を持つようになりました。
そのため、新嘗祭と勤労感謝の日は同じ11月23日に設定されています。
まとめ
新嘗祭(にいなめさい)は毎年11月23日、勤労感謝の日に合わせて行われる重要な神事です。この日は、皇居の宮中と全国の神社で祭典が執り行われ、新穀やその年に収穫された作物を神々に捧げ、豊作に対する感謝を表します。
過去には、新嘗祭が行われるまで新穀を食べることを避けるという習慣がありました。これは、神々に先駆けて新穀を食べることが不敬とされたためです。
この慣習からも、古人が食べ物にどれだけ敬意を払っていたかが伺えます。
現代の便利な生活の中でも、食べ物への感謝の気持ちを忘れずにいることの大切さを、改めて感じるきっかけになるかもしれません。